問1
行列 の型と 成分を求めなさい。
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、 成分は (第 2 行の左から 1 番目)
目次 / 行列と一次変換 / 旧数学C(課程外)
—— 数を長方形に並べた「表」を、ひとかたまりの数のように計算する ——
この章では、数を長方形に並べた「行列」を学びます。行列どうしの足し算・引き算と実数倍は、どれも同じ位置の成分どうしを計算するだけです。難しいのは次の章から始まるかけ算のほうなので、まずは書き方・型・成分の呼び方に慣れ、行列を 1 つの文字のように扱う感覚をつかみましょう。
クラスの座席表を思い浮かべてください。「前から 2 番目、左から 3 番目」と言えば、席は 1 つに決まります。名前を書き並べただけの名簿と違い、座席表ではどの位置にあるかそのものが情報になっています。
数についても同じことをします。数を長方形に並べ、全体を 1 つのかたまりとして扱う。これが行列です。たとえば
のように、大きなかっこでくくって書きます。中に並んだ 1 つ 1 つの数を成分といいます。
並びの呼び方は 2 通りあります。横の並びが行、縦の並びが列です。上の は横の並びが 2 本、縦の並びが 3 本なので、2 行 3 列の行列、または 行列といいます。この「2 × 3」を行列の型と呼びます( という計算をしているわけではありません。「2 かける 3 型」と読みます)。
行と列はよく取り違えます。「行」は文章を書くときの一行目・二行目と同じで横、「列」は右側の部品が縦棒(りっとう)なので縦、と覚えておくと間違えにくくなります。
行列は , のような大文字で表します。
この分野で主役になるのは 2 次の正方行列です。第 1 章と第 2 章では、型の違いに慣れるために や といった行列も計算に出しますが、第 3 章から先はほとんど だと思ってかまいません。
なお、零行列 と原点 は同じ文字を使います。紛らわしい場面では「零行列 」「原点 」と言葉を添えて区別します。
行列とは数を長方形に並べて 1 つのかたまりとして扱うもので、横の並びが行、縦の並びが列、その交点の位置で成分を 成分と呼ぶということです。
次の行列 について、あとの問いに答えなさい。
(1) の型を答えなさい。
(2) の 成分を求めなさい。
(3) の第 1 列の成分をすべて求めなさい。
【解答】
(1) 横の並び(行)が 2 本、縦の並び(列)が 3 本あります。
(2) 成分は「第 2 行と第 3 列が交わる位置」です。第 2 行は ,, の並びで、そのうち左から 3 番目なので
(3) 第 1 列はいちばん左の縦の並びです。
番号は「行が先、列があと」です。 成分と 成分は違うもの(この には第 3 行が無いので、 成分はそもそも存在しません)。
2 つの行列が「等しい」とはどういうことか、先に決めておきます。座席表でいえば、同じ大きさの表で、同じ席に同じ名前が入っているとき、2 枚は同じ表です。
2 つの行列 , が等しいとは、次の 2 つがどちらも成り立つことをいい、 と書く。
すなわち、 の場合は
型が違えば、たとえ並んでいる数が同じでも等しくありません。 と は別の行列です。
この決め方の便利なところは、行列の等式 1 本が、成分の等式の連立に置きかわることです。 なら 4 本の式が一度に手に入ります。未知の文字を含む行列の問題は、ここから連立方程式に持ちこんで解きます。
行列が等しいとは型が同じで全成分が一致することなので、行列の等式 1 本は成分の等式の連立と同じ意味だということです。
次の等式を満たす実数 , の値を求めなさい。
【解答】
型はどちらも です。対応する成分を比べると
と はいつでも成り立つので、残る 2 本を連立させます。辺々を足して 、よって 。これを に代入して 。
同じ書式の売上表が 2 枚、4 月分と 5 月分があるとします。2 か月の合計を出すには、同じマスどうしを足しますね。行列の足し算も、まったく同じ考え方です。
同じ型の 2 つの行列に対して、和と差を対応する成分どうしの和・差で定める。
型が違う 2 つの行列の和・差は定めない(計算できない)。
「型が違うと計算できない」は、はじめは窮屈に感じるかもしれません。しかし、書式の違う 2 枚の表を重ねようとしても、どのマスとどのマスを足せばよいか決まりません。同じ型どうしでなければ足せないのは、決まりというより、自然にそうなるということです。
なお、和と差の結果は、もとの行列と同じ型になります。 どうしを足せば です。
行列の和・差は同じ位置の成分どうしを足し引きするだけで、型が違う行列は足せないということです。
次の計算をしなさい。
(1)
(2)
(3)
【解答】
(1) 同じ位置どうしを足します。
(2) 同じ位置どうしを引きます。
(3) どちらも 行列なので計算できます。
レシピの分量を 2 倍にするときは、材料を 1 つ残らず 2 倍にします。値札を一律 2 割引きにするときは、どの商品も 倍。行列の実数倍も、全成分を同じ数でかけるだけです。
実数 と行列 に対して、 のすべての成分を 倍した行列を と書く。
とくに ,(零行列)であり、 を と書く。また である。
実数倍は型を変えません。 行列を 3 倍しても 行列のままです。和・差と違って、実数倍には「型が同じ」という条件がいりません。かける相手は 1 つの数だからです。
は、 のすべての成分の符号を変えた行列です。すると となり、数の とそっくりの関係が成り立ちます。
実数倍は全成分を同じ数倍する操作で、型は変わらず、 は全成分の符号を変えた行列だということです。
, のとき、 を求めなさい。
【解答】
先にそれぞれを実数倍してから、差をとります。
成分ごとに のように、一気に計算してもかまいません。
和・差・実数倍は、どれも「同じ位置の成分ごとの計算」でした。成分 1 つ 1 つでは普通の数の計算をしているので、数のときに成り立っていた法則がそのまま引き継がれます。
,, は同じ型の行列、, は実数とする。
見比べてみてください。文字式の や と同じ形です。つまり、和・差・実数倍だけでできた行列の式は、, を文字だと思って、かっこを外し同類項をまとめる、といういつもの手順で整理できます。
移項も同じようにできます。 なら、両辺に を足して です。
ただし、この「数と同じに扱える」安心感は、この章かぎりのものだと心に留めておいてください。次の章で登場するかけ算では と が一致するとは限らず、文字式の感覚がそのままでは通じなくなります。そのときのために、いまのうちに和と実数倍で足場を固めておきましょう。
和と実数倍については行列を文字のように扱ってよく、かっこを外す・まとめる・移項するという操作がそのまま使えるということです。
, とする。
(1) を満たす行列 を求めなさい。
(2) , を満たす行列 , を求めなさい。
【解答】
(1) を移項して 。
両辺を 倍して
(2) 数の連立方程式と同じ手順です。 …①、 …② として、辺々を足すと が消えます。
辺々を引くと が消えます。
求めた , を①②に代入すると、たしかに , になります。行列の連立方程式も、加減法がそのまま使えるということです。
ベクトルの分野では、成分を と横に並べて書きました。この分野では、ベクトルの成分を縦に並べて書きます。
つまり 行列(列ベクトル)として扱う、ということです。同じベクトルを書き方だけ変えたものなので、意味が変わるわけではありません。
なぜ書き方を変えるのか。理由は次の章で行列のかけ算を決めるときにはっきりします。行列に「点の座標」をかけて別の点へ移す、という使い方をするのですが、その計算は成分が縦に並んでいるときにきれいに書けるのです。いまは「この分野ではベクトルは縦書き」と覚えておいてください。
列ベクトルの和・差・実数倍は、行列としての計算そのものです。そして結果は、ベクトルの分野で成分ごとに計算したものと完全に一致します。
列だけの行列とみて計算しても、ベクトルとして成分ごとに計算しても、結果は同じである。
この分野ではベクトルを縦に並べた列ベクトルで書きますが、和・実数倍の計算はベクトルの分野で学んだものと同じだということです。
, とする。
(1) を求めなさい。
(2) を の形に表すとき、実数 , の値を求めなさい。
【解答】
(1) 成分ごとに計算します。
(2) 左辺を計算して成分を比べます。
これが と等しいので
第 2 式より 。第 1 式に代入して 、すなわち なので 、。
, は平行でない(1次独立)ので、表し方はこの 1 通りしかありません。
次の章では、行列のかけ算を決めます。足し算が「同じ位置の成分どうし」というあっさりした決め方だったのに対し、かけ算は「行と列の内積」という少し込み入った決め方になります。そして と が違ってしまうという、数には無かった現象が起こります。
まずは公式をそのまま使う、ごく簡単な問題で確認しましょう。
問1
行列 の型と 成分を求めなさい。
、 成分は (第 2 行の左から 1 番目)
問2
を求めなさい。
(同じ位置の成分どうしを足す)
問3
を求めなさい。
問4
を求めなさい。
(全成分を 2 倍)
問5
を満たす実数 , の値を求めなさい。
(対応する成分がすべて等しい)
難易度マークは ★=基礎、★★=標準、★★★=入試レベルです。★から順に取り組みましょう。
問1 ★
行列 について、(1) の型、(2) の 成分、(3) の第 2 行の成分を左から順に、それぞれ求めなさい。
(1) 行列 (2) (3) ,,
(1) 横の並び(行)が 2 本、縦の並び(列)が 3 本あります。
(2) 成分は第 1 行と第 3 列が交わる位置です。第 1 行は ,, なので、左から 3 番目の
(3) 第 2 行は下の横の並びです。
番号は「行が先、列があと」の順です。 成分と 成分を取り違えないようにします(この に第 3 行はないので、 成分は存在しません)。
問2 ★
, のとき、 と を求めなさい。
,
同じ位置の成分どうしを足し引きします。
引き算では のように、符号の処理で間違えやすいので注意します。
問3 ★
次の 4 つの行列について、あとの問いに答えなさい。
このうち和が定められる 2 つの組をすべて選び、その和を求めなさい。
のみ
和が定められるのは型が同じ2 つだけです。まず型を調べます。
同じ型の組は と だけです。
と は成分の個数こそ同じ 2 個ですが、型が と で違うので足せません。横に並べるか縦に並べるかは、行列では別のものとして扱います。
問4 ★
, のとき、 を求めなさい。
それぞれを実数倍してから差をとります。
問5 ★
を満たす実数 ,, の値を求めなさい。
,,
型はどちらも なので、対応する成分を比べます。
第 3 式はいつでも成り立ちます。残りを解いて
問6 ★
, のとき、 を求めなさい。
列ベクトルは 行列です。成分ごとに計算します。
ベクトルの分野で横書きの成分で計算したものと、同じ結果になっています。
問7 ★
, のとき、 を満たす行列 を求めなさい。
数の方程式と同じように を移項します。両辺に を足すと
検算として を計算すると となり、正しいことが確かめられます。
問8 ★
成分が で与えられる 行列 を求めなさい。
は行の番号(1 か 2)、 は列の番号(1,2,3)です。順に代入します。
第 1 行():,,
第 2 行():,,
同じ行では が固定で だけが増えるので、右へ進むほど ずつ減っていきます。
問9 ★★
, のとき、 を満たす行列 を求めなさい。
を移項して とします。
両辺を 倍して
「 倍する」は全成分を半分にすることです。行列どうしの割り算という操作はまだありません(割ってよいのは実数だけです)。
問10 ★★
, とする。, を満たす行列 , を求めなさい。
,
…①、 …② とします。① + ② で が消えます。
②より なので
検算: となり、正しいことが確かめられます。
問11 ★★
を満たす実数 , の値を求めなさい。
,
対応する成分を比べます。
だけでは と の 2 つの可能性が残ります。ここで残りの式も同時に満たさなければならないことを使います。
を に代入すると 。これは も満たしています。 のほうは となり、成分が合いません。
行列の相等は「すべての成分が一致する」ことなので、1 本の式だけで決めずに、全部の式を同時に満たすかを必ず確かめます。
問12 ★★
,, とする。 を満たす実数 , の値を求めなさい。
,
左辺を計算して 1 つの行列にまとめます。
と成分を比べると、式が 4 本できます。
はじめの 2 本から求めます。第 2 式より 。第 1 式に代入して 、すなわち なので 、。
これが残りの 2 本も満たすか確かめます。 ○、 ○。
未知数 2 個に対して式が 4 本あるので、解が存在しないこともあります。2 本で求めた値を残りに代入して確かめるところまでが答案です。
問13 ★★
,, とする。 を満たす実数 , の値を求めなさい。
,
左辺を計算します。
と成分を比べて
第 2 式より 。第 1 式に代入して 、すなわち なので 、。
と は平行ではない(1次独立)ので、 の表し方はこの 1 通りに決まります。ベクトルの分野で学んだ分解を、縦書きでやり直しただけです。
問14 ★★
ある店では 2 つの支店 P,Q で商品 X,Y,Z を売っている。4 月と 5 月の販売個数は、 成分を「第 支店(P,Q の順)の商品 (X,Y,Z の順)の販売個数」として、次の行列で表される。
(1) 4 月と 5 月を合わせた販売個数を表す行列、(2) 4 月から 5 月への増減を表す行列、(3) 6 月の販売個数が 5 月のちょうど 倍になると見込むとき、その見込みを表す行列を、それぞれ求めなさい。
(1) (2) (3)
(1) 合計は和 です。
(2) 増減は「5 月 − 4 月」なので差 です。
負の成分は減ったことを表します。支店 P では商品 Y が 5 個、商品 Z が 2 個減っています。
(3) 倍の見込みは実数倍 です。
表の形をそのまま保ったまま、合計・増減・見込みが 1 つの式で書けるところが行列の便利さです。
問15 ★★
, とする。 を簡単にしてから求めなさい。
先に代入せず、文字式と同じようにかっこを外して整理します。
の項がきれいに消えました。あとは の全成分の符号を変えるだけです。
はじめに数値を代入すると、 行列の計算を 4 回もすることになります。和と実数倍だけの式では、整理してから代入するのが確実です。
問16 ★★
,,,, とする。(1) 「 かつ 」、(2) 「 かつ 」のそれぞれについて、2 つの条件を同時に満たす行列 があるかどうかを調べ、あるときはその を求めなさい。
(1) ある。 (2) ない
それぞれの条件から を求め、一致するかどうかを見ます。
より
(1) より
2 つが一致したので、この が両方の条件を満たします。
(2) 同じように を計算すると
これは と 成分だけが違います。両方を満たす は
行列の等式は成分の等式の連立なので、1 つの成分が食い違うだけで条件全体が満たせなくなります。
問17 ★★★
,, とする。 を満たす実数 ,, のうち、すべてが ではないものを 1 組求めなさい。
,,(これらを 倍したものも解)
左辺を 1 つの行列にまとめます。
これが零行列 (全成分が )になる条件なので
はじめの 2 本から 、。これを残りの 2 本に代入して確かめます。
第 3 式:
第 4 式:
どちらも の値によらず成り立つので、 は自由に選べます。 とすると
実際、 を計算すると になります。 という当たり前の解のほかに解があるとき、,, は1次従属であるといいます。このとき と書けて、 は , から作れる「余分な」行列だったことが分かります。
問18 ★★★
次の正方行列 ( 成分と 成分が等しいもの)を対称行列、(対角成分が で、 成分と 成分が符号だけ違うもの)を交代行列という。どんな 次の正方行列 も の形にただ 1 通りに表せることを示し、 のときの , を求めなさい。
,
とおきます。 となる , を成分で探します。
これが と等しいので
最後の 2 本を足し引きすると , となり、
とただ 1 通りに決まります。逆に、この , をとれば確かに です。よって表し方は存在し、しかも 1 通りです。
では ,,, なので
検算すると です。 は と の平均、 は差の半分、という形は覚えておくと見通しがよくなります。
問19 ★★★
次の正方行列 が「2 つの行それぞれの成分の和と、2 つの列それぞれの成分の和が、4 つとも等しい」という条件を満たすとする。このような をすべて求め、さらに、この条件を満たす 2 つの行列の和と実数倍もまた同じ条件を満たすことを示しなさい。
(, は任意の実数)の形のものすべて
4 つの和は、第 1 行が 、第 2 行が 、第 1 列が 、第 2 列が です。これらがすべて等しいとします。
より 。
より 。
よって , となり
逆にこの形なら、4 つの和はすべて で等しくなるので、条件を満たします。
次に、この形の 2 つの行列
について、和と実数倍を計算します。
どちらも の形をしているので、同じ条件を満たします。(証明終)
「ある性質をもつ行列を集めると、和と実数倍をしてもその集まりから出ない」というのは、線形代数で部分空間と呼ばれる大切な性質です。j18 の対称行列・交代行列の集まりも同じ性質をもっています。
問20 ★★★
行列の列 ,,, が
で定まっている。(1) を を用いて表しなさい。(2) を求めなさい。(3) の成分のうち になるものがあるのはどの か、どの成分が になるかも含めて求めなさい。
(1) (2) (3) のとき 成分が
(1) 毎回 を足していくので、 から までに を 回足したことになります。
成分ごとに計算します。
と の成分どうしを足します。
(2) を代入して
(3) 4 つの成分をそれぞれ とおきます。 は 以上の整数であることに注意します。
実際 です。各成分は「初項が の成分、公差が の成分」の等差数列になっています。数列の分野で学んだ一般項 が、4 つ同時に走っているという見方もできます。
英語で行列は matrix といいます。映画の題名でおなじみのこの語は、もとをたどるとラテン語の mater(母)から来ていて、「母体」「何かを生み出すもと」という意味です。生物の話に出てくる「基質」も、鋳物を作るときの型も matrix と呼ばれます。
数学にこの名前を持ちこんだのは、19 世紀イギリスのシルベスターです(1850 年ごろ)。当時すでに、連立方程式を解くときに現れる のような量(いまの行列式)はよく知られていました。シルベスターは、数を並べた表そのものに注目し、「ここから行列式がいくつも生まれてくるから、これは母体(matrix)だ」と名づけたのです。表のほうが後から名前をもらった、という順番でした。その表を単なる入れ物ではなく、足したりかけたりできる「数のようなもの」として扱う理論を組み立てたのは、友人のケイリーです(1858 年)。
豆知識
日本語の「行列」は、横の並び(行)と縦の並び(列)をつないだ言葉です。ラーメン屋にできる行列とは何の関係もありませんが、どちらも「並んでいる」という一点だけは共通しています。ちなみに中国語では矩阵(長方形の陣)、ドイツ語でも Matrix です。
パソコンで表計算ソフトを開くと、目の前に広がるのは縦横に区切られたマス目です。行には 1,2,3… と番号が、列には A,B,C… と記号が振られていて、「C5 のセル」といえば場所が 1 つに決まります。これは行列そのもの、セルの名前は 成分の言いかえです。
最初の表計算ソフト VisiCalc が発売されたのは 1979 年でした。それまで紙と電卓で何時間もかけていた売上の集計が、数字を 1 つ直すだけで全部やり直される。この便利さのために、業務用ではなかったパソコンが会社に置かれるようになった、と言われています。
表計算ソフトで「4 月のシートと 5 月のシートを足して合計表を作る」「全体を 倍して値上げ後の価格表を作る」という操作は、この章で学んだ行列の和と実数倍です。おそらく世界でいちばん多くの人が、行列という名前を知らないまま行列の計算をしています。
白黒写真をコンピュータで扱うとき、画像は数の表として保存されています。1 つのマスが 1 つの画素で、中の数字はその点の明るさ( が黒、 が白)。 の画像なら、 行 列の行列というわけです。
写真アプリで明るさのスライダーを右に動かすと、この行列の全成分が同じ数だけ増えます( の形。 は全成分が の行列です)。コントラストの調整は、平均からのずれを実数倍する操作。どちらも、この章の和と実数倍でできています。
動画のクロスフェード(前の場面がだんだん薄れ、次の場面が浮かび上がる切りかわり方)も同じ仲間です。前の場面の行列を 、次の場面を とすると、途中の映像は
で作られます。 で 、 で 、その間はきれいに混ざった絵になる。2 つの行列の実数倍を足したこの形を1次結合といい、これから何度も出てきます。
※ここは発展ページです。高校の範囲では「数を長方形に並べたもの」という理解で十分ですが、「並べたもの」とは数学的に何なのか、なぜ和は同じ型どうしでしか定めないのか、そして行列がベクトルの仲間だという見方が気になる人のために、少し厳密な形にまとめておきます。
, を正の整数とし、正の整数 に対して とおく。集合
から実数全体の集合 への写像 を、 実行列という。 の値を と書き、 の 成分という。 実行列全体の集合を と表す。
2 つの行列 , が等しいとは、写像として等しいこと、すなわち型が同じ(, がともに の要素)であり、かつすべての について となることをいう。
「数を長方形に並べたもの」という言い方を厳密にすると、「位置 を決めると数が 1 つ決まる対応」、つまり写像になります。紙の上でどう並べるかは人間の都合で、数学的な中身は「位置 → 数」の対応だけです。
型が違う行列の和を定めない理由も、これではっきりします。 の定義域が 、 の定義域が なら、 に対応する がそもそも存在しません。足すべき相手がいないのです。
, を同じ型 の行列、 を実数とする。 と を、成分が次で与えられる 行列として定める。
とくに、すべての成分が の行列を零行列といい と書く。また を と書き、 と定める。
は、定義2の和と実数倍について次の 8 つを満たす。すなわちベクトル空間である(,, は 行列、, は実数)。
証明 どれも「両辺の 成分が一致すること」を示せばよい(定義1の相等)。たとえば 1 は、実数の加法の交換法則から
7 は、実数の分配法則から
他の 6 つも同様に、成分の計算が実数の計算法則そのものになる。(証明終)
この 8 つは、ベクトルの分野 第1章の厳密定義ページで「ベクトル空間」として挙げたものと同じです。矢印(幾何ベクトル)で成り立っていた法則が、数を並べた表でもそっくり成り立つ。ですから大学の数学では、行列もまた「ベクトル」と呼ばれます。逆にいうと、この章で確かめた計算法則は行列に特有の何かではなく、成分ごとに実数の計算をしているから当然そうなるというだけのことです。
ベクトル空間として見ると、8 つの法則だけから言えることがあります。次はその例です。
において、次が成り立つ。
(1) すべての について を満たす行列 は、 だけである。
(2) を固定するとき、 を満たす行列 は、 だけである。
証明 (1) がその性質をもつとする。 としてよいので 。一方、法則 3 を に対して使うと 。法則 1 より であるから である。
(2) とする。両辺に左から を足すと
左辺は法則 2,4,1,3 を順に使って
よって である。(証明終)
成分で確かめれば一瞬の主張ですが、証明に使ったのは 8 つの法則だけでした。つまりこの結論は、行列にかぎらずどんなベクトル空間でも成り立ちます。個々の中身に立ち入らず、法則だけから議論を進められるのが、抽象的にとらえることの利点です。
なお、ここでの は「足すと になる相手」であって、第3章で学ぶ逆行列(かけると単位行列になる相手)とは別のものです。混同しないようにしてください。
を、 成分だけが で、他の成分がすべて である 行列とする。このとき、任意の は
とただ 1 通りに表せる。
証明 右辺の 成分を考える。 の 成分は かつ のときだけ 、他は である。よって和のうち残るのは の項だけで、右辺の 成分は となり、 の 成分に等しい。ゆえに等式が成り立つ。
一意性を示す。 と表せたとすると、同じ計算により右辺の 成分は である。これが と等しいので 、すなわち係数は成分そのものに決まる。(証明終)
たとえば 行列なら
です。ベクトルの分野では、平面上のどんなベクトルも 1次独立な 2 本で とただ 1 通りに表せました。その「ものさし」にあたるのが で、 行列には 本必要です。この本数を次元といい、 の次元は です。2 次の正方行列全体は 4 次元、ということになります。
最後に、この先の見取り図を書いておきます。実践問題 j19 では「2 つの行の和と 2 つの列の和がすべて等しい行列」を集めると、和と実数倍をしてもその集まりから出ないことを確かめました。j18 の対称行列・交代行列も同じです。このような、ベクトル空間の中にあってそれ自身もベクトル空間になっている部分を部分空間といいます。次元を数えると、2 次の対称行列の集まりは 3 次元(,, の 3 つで決まる)、交代行列の集まりは 1 次元( だけ)。足すと で、2 次の正方行列全体の次元と一致します。j18 の「ただ 1 通りに と書ける」は、この次元の一致の言いかえでもあるのです。
この章で扱ったのは和と実数倍だけでした。次の章でかけ算が加わると、行列は単なる「ベクトルの一種」ではなくなります。かけ算まで備えた集合は環と呼ばれ、しかも が起こる、数とは違う世界です。行列の面白さはそこから始まります。
この章の学習が終わったら
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